出張の際、車中でいろいろな歌を聞くが、故、大塚博堂さんが歌い、布施明さんがカバーした「めぐり逢い紡いで」と中島みゆきさんの「糸」には、特に、男女の運命や出会いの妙を考えさせられる。片や、出逢いと絆を辿る詞で綴られ、濃厚な愛の形を詠う。一方は、出会いの不可思議さに感謝しながら、淡々と絆を紡ぐという歌詞が素晴らしい。不幸にして、経験の浅い私でも、年の功で理解でき、思いを馳せ、追体験するかのようだ。歌心と歌唱力の巧みさと相まって心に沁みる歌だと思う。
男女に限らず、人相互でも、出会いがあり、必然もあるが、偶然のめぐり逢いもある。誰かが差配しているのかもと、疑いもする。自分の都合により、縁(えにし)の少なかった自分は、高齢になってからの出会いを大切に思っている。仕事にしがみついていないと生きていけないのも事実だが、それだけでは、寂しい。存在価値をも問われているような気もする。澄ましていれば、誰にも気づかれないが、自分を誤魔化せない。10年以上前、リタイアした、私とほぼ同世代の仕事関連の男性が、あっけらかんと「自分は、友達がいないから」と話したのには、驚愕した。あれは何だったのだろうか。きっと切実な声だったのだろう。今なら理解できる。「友達がいない」だけでなく、多少自虐的な事等、平気で言えるようになったのは、やっと自分と向き合い、多少でも人と向き合えるようになったからだろうか。
最近は、知り合った人と、つかず離れず、話をしたり、新たな出会いを求めて、強いて言えば、相手を物色しているのかも知れない。これだけ長く生きると、人間関係に、倦み疲れて辟易するのだろうが、これまでが希薄な人間関係だっただけに、一向に嫌にならないのである。本当に狭い付き合いの範囲に過ぎないが、今の自分に相応しい人間関係を紡いでいきたい。それにつけても、新型コロナ問題の為、親しく話していた、二歳と七歳上の兄と姉に会って話せないのが残念な事。年配者と高齢者が更に孤立化し、元気がなくなると同時に、分断化が更に加速化されるのではないかではないかと懸念している。
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