今更ですが、胃袋を掴まれています。しかし反乱の狼煙が上がった?

朝からこんなに美味しいもの食べていいのかな!温野菜に薄い酢醤油がかかり、出来立ての茹で卵、干した小魚にゴマとカツブシを混ぜた薄甘の即席つくだに、厚揚げに甘味噌、軽くご飯一杯、定番の煎茶ミルク等かなり充実した内容である。毎回楽しみであり、普通に出てくる?ところがいいね!感謝している。当たり前のように食べていたし、胃袋を意図して掴もうとしたわけでもないのだろうが、気がついたら胃袋が喜んでいる。リーズナブルな外食もするが、二人して諸手を挙げて大賛成。

私が協力することは、ゴミを集め、出すこと、新聞を持ってくること、買い物に行き食材などを運ぶことぐらい。後は全部お任せ。確かにお気楽な立場である。妻に言わせれば、何事もテキパキと、こなさない、だらしない、暖簾に腕押し、終活をしない。その上、時間を自由に使え、遊んでいるようなものらしい。いつまでも死なないと思っているのじゃないの?と皮肉を言われる始末。最近、このまま、おさんどんやって一生終わりたくない!好きなものを買って食べて!外で食事してきて!など、たびたび反乱?の狼煙があがっている。

確かに毎日三度三度の食事を作っていると、拘束されることもあり、あっと言う間に時間が流れ、自分の自由になる時間がないのは理解出来る。自分も妻も何かを探し求めているし、出来なかったことをしたい気持ちは同じ。しかし個性も違うし,興味の対象、目的に至る方法、手段も異なる。これまでもある程度好きなようにしてもらっていたつもりだが、更に出来るだけ黙認するしかないだろう。

元々、家事労働を高く評価しているが、自分は器用でないし、いい夫を演じる必要もない。そんなことを言って本音は家事をしたくないだけかもしれない。かって主婦の家事労働を賃金に換算し、主婦の地位と名誉を高めた報道があった。彼女たちの反乱を助長させないためにも有効であり、さぞかし溜飲を下げたことだろう。しかし現実の経済環境は厳しく、共働きしなくてはならない人も多い。いつしか、働かないで家にいられるだけで幸せであるかのように言われ、肩身が狭い想いをしているのではないだろうか。せっかく脚光を浴びた縁の下の力持ちが置きざりにされているのは、残念である。家内労働に元ずく家庭なくしては、心の拠り所さえ失ってしまう。

自分は、黙ってバクバク食べるタイプではない。「喜んで!」美味しいものの短評をし、多少饒舌になる。単調でいつも通りの日常に彩りを与えてくれる食事が何にも換えがたいのである。いつか感謝の想いを語ろう!でも誉めたり、感謝するより、証がほしいのだと思う。懸案事項をサッサとかたずけるなど。わかっているけど、性格、信条等はなかなか変えられないし、これまでのライフスタイルも捨てられない。

日本では、堂々たる人生を歩む?オット族が自分自身のことは概ね肯定し、黙ってついて来てほしいし、敢えて刺し身のツマに甘んじてもらいたいと思っているのではないだろうか。それを肯定する風潮もある。若い女性の安定志向である。収入の多い、将来がそこそこ見える人に身を寄せて生きたがっているのである。せっかく古い世代の主婦が身を賭して目覚め、よりよい生き方を求め始めているのに、経済環境の悪化があるとは言え、逆流するようなものだ。

(専業)主婦は立派な職業である。政府の言う働き方改革の一環として老若男女すべからく働いて国民総生産をあげ、税の増収をはかり、活力ある福祉国家を実現させる?目下のところ、大事な命題の一つであろう。しかし高齢化社会を迎え、皆が嬉々とし働くのであればよいのだが、暮らしが成り立たないから働いているのが現状である。なんとかしなくてはならないのだが、別の角度からの、働き方改革の認識も必要ではないだろうか。例えば働いていた女性が結婚した場合、ゴールないし休職と考えるのは間違いではないだろうか。むしろ専業主婦に転職し、主婦は、れっきとした仕事を持ちながらバイトをしていると言う意識が必要だと思う。これも立派な働き方改革のあり方だとおもう。それぞれの立場で間接的に配偶者の収入を増やしたり、おいしいものを作ったりし消費経済社会に立派に貢献しているのである。勿論、家事全般を女性におしつけていいものでない。男性でも、性にあい、事情により専業主夫や主夫を普通にやれる社会が望ましい。各家庭で様々の働き方改革や、どう生きるかを話し合い、納得ずくの働きができれば、成熟した社会の実現を図れるのではないだろうか。私達にも働き方改革、どう生きるかが容赦なく迫ってきている。

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