椿の蕾が膨らんできた!

昨年末、ある店に行った時、小さな蕾がついた椿の枝を分けていただいた。木に勢いがなく、あまり期待していなかったが、花瓶に挿し、妻が毎日水を換え、折った枝先を洗い、20日以上経ってから蕾が微かに膨らみ、紅色も浮かんできた。切り花の蕾が咲くのは知っているが、改めて自然の驚異に目を見張らせられた。彼女曰く。こうやって手をかければ、一生懸命期待に応えてくれるが、私の面倒を見てもなかなか言うことを聞かないし、困ったものだと言われた。確かに!その後出張に出かけ、日一日と成長する姿が見られなかったのは残念ではある。

椿の蕾

様々の動植物の発芽・誕生・成長・存続を見るにつけ、生命の不思議さを思うが、人間以外の生物は、与えられた環境で本能的に生きるのが宿命づけられている。本能を棚上げして知的好奇心を満たし、道具の使用や技術の研鑽に励んだりしない。MOTIVATIONの上げ下げはないし、必要以上に休養も取らず、手抜きもなく横道に外れたり、他と比較するわけもなく、ただひたすら、生存していくのみである。むしろ清々しく見えるものである。。

人間は一人一人が、社会との繋がりで、背負っているものが重すぎて、一部の人を除いては気の毒でもある。知識と知恵を駆使し、道具と技術も得たお陰で、諸々の困りごとも抱えている。「禍福あざなえる縄のごとし」と言うが、正にその通りで、喜びも苦しみも絶え間無くやって来るし、平凡・平坦でさえ、取り用によってはどちらにでも取れる。個人個人が忙しすぎて、他の人を慮る余裕もない。

人を励みにしたり、「他山の石」とて自分の戒めとすることもできるが、要は自分。他におもねることなく一本道を真っしぐらに進んでいる人は、自分の生き方に満足していると思う。そうでもなく、人間社会で習得した思い・辿ってきた行動が混迷を極めている身としては、ここらでこんがらかった縄をほどき、スッキリしたいものである。他の動植物の如く、本能のまま生きるのでもなく、我が道をひたむきに、本能の如く過ごせる日常があったら、どんなにか幸せな生き方になるであろうか。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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