さくら さくら 今‥‥

コロナ禍に遠慮することなく、桜前線が日本列島を駆け上り、森山直太朗さんの歌を思い出している。現実には、自粛を強いられ、TVの画像でしか見られないと諦めていたが、3月13日に婚家先の娘夫婦より、蕾がビッシリついた沢山の桜の枝が届けられた。例年だと、日本人に一番身近で、幾らでも、どこでも見られる花のせいか、その華麗さ、贅沢な恵みに浸りきることもなく、パッと咲き、潔く散る花くらいにしか印象がなく、よそ行きの花としての存在にしか過ぎなかった。しかし、幸か不幸か、ここ二週間以上に亘って、繁々と観賞出来、より身近に感じるようになった。妻が枝の根元の水切りをし、ひっきりなしに水を換え、ヌルヌルする枝と花器を頻繁に洗い、摘花することにより、蕾が三分、五分、七分咲きになり、いよいよ豊潤な姿を誇示し、葉がチョッピリ顔を出し、葉桜になるまで充分楽しめた。生花が少なく、殺風景な空間で、毎日話題になった。こんな環境でも早春を謳歌してくれ、惜しみながら時を過ごせたことに感謝。山形の啓翁桜の札がついており、聞くところによると、この美しい小振の桜は、全国に普及しているらしい。

ここ一年余りでコロナ禍で環境が変わったり、一年弱の闘病で健康を損なったあげく、普通でいられる有難さにも気付かされた。これからは、以前当たり前であったことでも、より感謝することが多くなるのであろう。医師の診察、処方にも救われたが、とりわけ、今まで漫然と食べていたものでも、よく吟味し、取り入れていくようになっている。先ず、食欲がなく、主食としての米食が喉を通らなかった時は、甘酒と果物で凌ぎ、徐々に食べられるようになってからは、蕎麦と餅を取り入れ、現在は、三主食のバランスのうえ、食生活が成り立っている。以前から食していた、旬であったり必要な食材も、より意識しているし、改めて、今後、目の前を通り過ぎる食材からも益々目が離せない。今であれば、浅葱、苺、シジミ等である。次は、アスパラを贅沢に食べる、一回きりの春一番のご馳走が待っている。更に以前から、たまには飲んでいた甘酒は、毎日、欠かせない飲み物になった。この度は、全国、三十種類以上の米麹と酒粕の甘酒を飲み、セレクトしてきたが、今のところ小さな糀屋さんの米麹甘酒に絞りつつある。私と接点のある方で、甘酒が苦手な方にもお薦めしたり、差し上げる場合もあると思うが、どうかご容赦願いたい。

甘酒は、飲む点滴と言われ、最近、ブームになっているようだ。それぞれ、アルコールの残っている酒粕と米麹で作った甘酒がある。薫りと爽やかさで選ぶなら、酒粕甘酒であるが、健康面を考えれば、断然米麹甘酒である。脳の活性化を促し、エネルギー源になり、腸内環境も整え、代謝に影響を及ぼす発酵食品の代表選手と言える。葡萄糖、オリゴ糖、食物繊維、ビタミンB群、Y-アミノ酸等が豊富で、ビフィズス菌が増え、皮膚・爪・髪にも影響を与え、免疫力を高め、美容効果、高血圧抑制効果もあるそうだ。但し熱に弱いので60度以下にすることと、栄養価も高いので夜の摂取と飲み過ぎには気をつけたい。

今まで長いこと生きてきて、いい加減くたびれてはいるが、物事に対する執着・情熱・欲得等がなくならないのは、どうしてだろうか。多分、それらを真剣に意識したり、その時に必要な一点に対する集中力に欠け、忍耐力もなく、漫然と生きて来た所為なのであろう。人間としての生き方、生活感に則って暮らして来なかった。つまり、アホな生き方をしてきたので、まともな生き方に目覚めた?今、人様がくだらなく思えたり、飽き飽きしたことでも、実際に経験値が少なかったり、デジャビュ感(既視感)も乏しく、楽しめるのかもしれない。ことによったら青臭い事も述べたり、何十年もずれたことでもしかねないが、本人は、いたって真面目なのである。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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