無垢であった幼子が大人になると何故か・・・・

毎日のように、事件が起こっているが、必然であったり、昨日まで何でもなかった人も関わっていることもある。それにつけても、幼児ならびに子供の頃、あんなにも無邪気で、素直で、礼儀正しい子供達が、何時から、勝手に生き、迷惑をかけたり、OUTSIDER やOUTLAWへの入り口を通り過ぎ、人々のひんしゅくを買う大人になって行ったのだろうか。誰にでも、長ずるに及び反抗期などがあるが、更に何者か何事かが関わっていたのは、間違いない。何故、分岐点で、友達・親兄弟・周囲の人・教師・自治体 等が気付いて、BLOCKしてあげられなかったのかと思う。野生の動物は、本能のまま生きていくが、人間は、良きにつけ悪しきにつけ、自分で切り開いていける者と他人の影響を受け易いTYPEがいる。他力本願ではあるが、人を見守ったり、影響力を発揮出来る立場の方が、 岐路で生き方に迷っている人達に、背中を押してあげたり、別の道を示唆するなど出来れば、より実りのある人生を模索出来るのではないだろうか。しかし、肥大化した社会で、人に頼れず、今日明日を必死に生きなければならず、人のことをかまってお人好しをしている場合かと言われたら、二の句もつげない。そろそろ、自由に生きる代わりに、自己責任という考え方を是正する時期でもあるような気がする。恣意的なそれぞれの思いに頼るだけでなく、社会として、組織的に人を支え、ADVICEし、救う為に取り組まなくてはいけないような気がする。

そう言う自分は、少年時代、存在感もなく、個性のない人間で、NOが言えなかった。2〜3年加わっていた不良GROUPから抜け出すのに、それこそ命がけであったし、自我の確率さえ覚束なく、人様と共に生きる立場になかった。一時、小中学校を通じ、教師に憧れたが、極端に贔屓をする教師の姿を見て、自分は、好き嫌いが激しく、多分、依怙贔屓してしまい、生徒に不快感をいだかせるので、不向きだと悟った。

自分が、誰かに著しい影響を受けたこともなく、自分が生きることのみで、ここまで来てしまった。高齢になっても、何ら蓄積もなく、人様に、ADVICE したり、ASSIST 出来る立場にはないのは、残念であり、悔いが残る。時代は、遅々たる歩みであるが確実に進歩していると信じたい。ある意味で、我々は、それなりに物に恵まれ、豊かな時代を過ごしたとは言え、時代と生き方のせいで、心が荒廃していたり、満たされていないことが多いと思う。自分にとって、様々なことに翻弄されて生きてきた人をRESPECT し、話を聴く事くらいしか出来ないが、それぞれに納得し、肯定することができ、共感できればありがたいと思う。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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