昔からソーシャルディスタンスを取っていた

HOTELのELEVATORの行く先ボタンのそばにいたが、乗り込んできた人が、ボタンを押す為、MASKも付けず、必要以上に接近してきた。この時期にである。不快感露わに顔を背けた。そう言えば、自分は、昔からSOCIAL DISTANNCEを取っていた。人と話をする時、面と向かって濃厚接近すると、お互いに嫌な思いをするので、何時の頃か、つい手を口の前にかざして話す癖がついてしまった。相手の方は、怪訝そうな顔つきであった。歩いていて、追い越したり、すれ違う時など、脅威を感じさせたり、不快を感じさせぬよう距離も保っていた。又、電車の中や、混雑する人混みでも、お互いの為、体の接近を極力避けるようにしていた。

自然と、SOCIAL DISTANCEを取るようになったのは、理由があったと思う。幼き頃から、存在感に乏しく、我を出せないので、人によっては、都合のいい人に見られ、圧をかけてきたし、心の中まで、土足で踏み込んだ来ることもあった。自分がされて困ることは、当然人も嫌がることなので、控えめにすることを覚え、人の心を乱さないように、遠慮がちに振る舞った。行動だけでなく、心の距離も保った。結果的に、親しい人も作ることも出来なかった。

日本人は、農耕民族であり、EUROPE系の狩猟民族と違い、草食系の資質の人が多く、肉食系の人間が少なかった。権力者にとっても都合がよく、従順で、礼儀正しく、規範、慣習、前例に則り行動するので、諸外国に比べ統治し易かったと思う。国民も田中角栄の列島改造その他で一時熱狂したが、ある意味、期待が外れ、性急に変化を求めてもしょうがないことを自覚した。むしろ、成るようにしかならない。社会が悪い方向に向かっていないことを信じつつ、人のことを構わず、される事をあまり期待せず、今日明日を、コツコツと生きてきた。そんな国民の性向がこの度のコロナ感染騒動でも、ある程度、生かされたのではないだろうか。つまり、言われなくても、自ずから、自己犠牲・自己規制・自粛し、社会との距離を保つことに慣れているので、諸外国に比べ、罹患率、重症化率、死亡率等が低いことに繋がった?

最も、明治以降、1945年の太平洋戦争敗戦後を経て、自由主義、民主主義の洗礼を受け、新自由主義に至り、自己中の人間が増え、自己責任論も台頭した。これからの日本は、肉体と精神のSOCIAL DISTANNCEを取りながらも西洋のFRIENDRY さにも慣れ、時には、何かに熱くなることも必要ではないだろうか。百年河清を待っても何ら変わらないことは、みんな知っている。

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