今こそ、日本社会の変革、進展を期待したい

コロナVIRUS感染で、すべての国民がその脅威と経済的死活問題に怯えている。世界各国は、文化、経済、環境衛生面その他で、互いに多大な影響下にあり、世界の中の日本の立ち位置やLEADER達の資質も垣間見ることが出来た。又世論が沸騰することにより、国の政策が変わり得ることも体験した。収入減に耐えられる人・国、自治体等により、収入補填を受け、存続につなげられる人・融資を受け、収束後に望みを託せる人はいいが、救われない人が数限りなくいるのではないかと思う。年金行政の綻びが見え、一億総活躍社会の旗が振られ、老いも若きも隙間を狙って、いっぱいいっぱいで働いている人が多い。やはり、必死にに生き残りを模索している人もSAFETY NET の網目が荒く、見過ごされていくのだろうか。

思えば、先進国として発展しているかに見えたが、この度、疾病・感染病など厚生行政に於いて、LEADER 不在が露見してしまった。度々繰り返された内外の経済事変への対処のKNOW-HOWやテロ対策のSIMULATIONによる対応は、出来ていたのだろうが、過去数々のDATAがあったにも関わらず、感染病対策は、皆無であったのだろうか?OLYMPICを控えていたのに。感染が発覚した直後、空路、船舶で入国の際、水際で検疫し食い止められなかったことが、何としても悔やまれる。国や自治体と現場の保健所、病院等の意思疎通が図れていないし、ましてや指示系統も徹底していない。次々に、後手後手、ごたごた、不祥事、あり得ない事などが露呈し、汚染列島は、いまだに収拾出来てないし、長期に渡っての戦いになる。お気楽な政治家?が、その時だけ、提言を右顧左眄しながら心にもない事をペラペラと喋ったり、得々と発出したり、格好つけたり、底意が見え隠れするなど政治的利用している姿を見ているとやりきれない思いがする。ここに来て、緊急事態宣言を解除し、早々に営業の再開を認め出したのも、経済崩壊危機を回避するため、やむを得ない措置とはいえ、赤字でも納税しなくてはならない消費税収入を確保したいからではないかと勘ぐってしまう。

元々、日本人は、いいお上にも悪いお上にも概ね、黙ってついて来た。下克上の戦国時代を含め、数々の政権交代はあったが、国民は、川の流れに身を託すように、為政者と運命を共にした。時には、一揆もあったが、革命など似合わない国民性である。一人一人が過去のMINUS遺産などを克服して、今日がある。法を守り、税金を払い、自己責任、自己規制のもと、営々と築いてきたものが、異常事態で、崩れ去る。未曾有の有事で、責任を個人に帰し、国が国民を守りきれないようでは、先進7カ国の一員として、国際的に信用されないし、国民からも見放される。日本株式会社はSPONSORで働き手の国民の命と暮らしを必死で守らなければならないと思う。

何事もなければ、日本は、歴史と伝統文化に育まれ、道徳性を備えた勤勉な国民による、おもてなしの国として世界に誇れるはずだった。古来、日本人が培ってきた資質の数々。古風を好む政治家は、それとて1920年の太平洋戦争敗戦以前の国家教育、道徳教育の賜物と考えている。有事に速やかに対処出来ないこと、決められないことを理由に憲法を改正する動きもある。国家が意志表示を明確にして、国民について来させようともしている。骨格を変えて、どこに連れて行こうとしているのだろうか?指導力のない体育会系のTOPが「黙って俺についてこい」では、通用しない時代である。立派な骨組が一応整っているのに、山積している国民的課題の解決に精力的に取り組まない姿勢は、政治家の怠慢と言うしかない。諸問題をある程度解決した上、不都合・不備・時代錯誤等があれば、慎重かつ丁寧な議論の上、国民に詳細を説明し、改悪でない改正があってもいいと思う。

今回の厚生行政の不手際だけでなく、日本では、諸懸案の棚上げが多く、行政が停滞している。これは、ひとえに政治の責任であると思う。例えばSUPER などのレジ袋。物を買ったら、過剰包装は、NO GOOD だが、日本では、品物を裸でぽろっと渡す習慣がない。買っていただいた品物・金額・容量に応じて、包装するのが礼儀であり、それは、必要な経費である。地球環境を考え、レジ袋を減らす為に協力した消費者には、何らかの形で、企業側により、還元すべきであった。一定期間の時限立法を作り、ECO BAG 等を用意した客には、レジ袋代相当分を値引きし、なるべくレジ袋を使わないように誘導する。その間に、地球環境に優しいレジ袋等の作製を企業側に要請し、政府も物心共に応援する等。レジ袋だけでなくVINYLは、無くなるどころか、結構、流通している。産業界に配慮が過ぎ、時代の要請に応えていないような気がする。その後の環境行政を見れば、地球温暖化の問題にしても、後ろ向きで、単にPOSEを取っただけ。世界環境会議では、日本の環境大臣が、INITIATIVEを発揮できなかった。ゴミのRECYCLEでも、各自治体の対応がバラバラであり、国が一定の基準を示すなど、LEADERSHIP を取っているようには見えない。

一時が万事である。国政を司る人達の中に 、日本の進むべき道を客観的に判断し、最大公約数たる国民の心、希望を忖度し、政策として遂行する能力とVITALITYに欠ける人が多いからではないだろうか。従来の与党・野党・官僚関係の構図では、今までもそうであった様に、日本は変わらないと思う。仮に、決められる与党?が増えても、民意を汲むことが出来ないのは自明の理であり、むしろ心配が増える。また、野党が増えても方向性がまとまらず、さらに混乱するかもしれない。従来、政治家が、地方の御用聞きをし、地元に利益誘導するなどお茶を濁していたが、それとて、難しくなっている。時代が変わり、世界の中の日本を意識しなければ、通用しないように、国政の大枠の中で相関関係にある都会と地方の両立を考えないと、国の発展は望めない。権力に奢り、おもね、単に票決MACHINEとなっている人達、更に、理不尽なことに反対しているPOSE を取るだけで仕事をしていると思っている人達は、辞めてもらいたい。国政に真摯に向き合い、国家と国民の為、変革の意志を持ち、行動してくれる人達がいたら、それこそ国民代表に相応しい。

他人のPRIVACY を侵害したり、自分が気に入らない意見を徹底的に叩き、同調者にTWEETさせ、炎上させる等、SNSは、問題をはらんではいるが、時代の申し子でもある。双方向性のあるTOOLであり、上手く使えば、衆愚政治、選良政治の悪弊を払拭してくれるかもしれない。ものを知らない大衆があれこれ言っても、始まらない、決められない、方向が定まらないので、俺に任せてくれと言い、選ばれ、任された代表の大半が仕事をしていないし、成果が少なく、時間稼ぎをしている現状だ。いつまで先送りするつもりなのだろうか。国民各層が、SNSや従来のMEDIA を駆使するなどして、山積している喫緊の課題を提起し、新たなLEADER を選び、国政に進出させ、喝を入れてもらいたい。必ずしもCAREERがなくても、日本には強力な国家統治組織がPYRAMID状に出来上がっており、従来も、丸投げ、委ね、利用してきたのだ。自分が解決したい命題、一点に拘り、能力、意志、情熱、実行力があれば、国民が見放さないはずである。

老後真っ最中の者でも、この国の現状と行く末を憂いている。ましてや老後を考えてる人、現在も将来も見えづらい若い世代、是非、何か一つだけでも、解決してほしい事に対し声を上げ、政治に参加してほしい。国民が声を大にしたお陰で、国民給付金が実現したし、検察庁法改正案の今国会見送りと東京高検検事長の辞任が決定した。みんなが声をあげれば、その中から必ず時代のLEADER が現れると信じている。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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