高齢者運転の是非と運転免許制度の問題点

高齢者の認知症等による危険運転が悲惨な事故をおこし、大きな社会問題になっている。事は、高齢者の認知症等による事故多発?と運転免許返上問題に矮小化してほしくないと、かねがね思っていた。自分が、高齢者だからと言って、一定の年齢で免許証返上の線引きをされたら困るのは確かである。しかし年齢に関わらず、運転技能未熟者、道交法を無視し、危険運転する者、迷惑運転をする者等独りよがりで、人を慮る事の出来ない者が多数運転しているのが現状である。

一度、運転免許証を交付すれば、どんどん更新がなされていく。毎日、多数の新規免許取得予定者、更新予定者、行政処分対象者が、様々の試験、講習を受ける為、各都道府県の運転免許試験場、同教習場を訪れている。先ず体験者として感じるのは、官と民が一体になり過ぎていないかと言うことだ。少子高齢化で、若い年齢の免許取得希望者がどんどん減って、教習所も経営が成り立たなくなってきている。そこで、警察も仕事を民間に委託し仕事を増やす代わりに、自分達の定年後の仕事場も確保している。ある教習場で講習を受けた際、こんなことがあった。引き締まった容貌だが、優しい所作の見える教官に、違和感を覚え聞いてみた。もしかしたら、元警察にいらした方ですか?と尋ねると、警察にいた時は、法律を守り、違反者を取り締まる立場にあったが、ここに来る人はお客さんだから、今は丁寧に応対していますとの事。複雑な気持ちになった。人は境遇、立場、職場等により、極端に変われるものなのだ。しかし天下りが、必ずしも悪いとは限らない。高齢になっても悠々自適で暮らせる人が少ない今、定年後も働かなくてはならないのは、皆同じである。むしろ定年前、後に関わらず、もっと優遇すべきだと思っている。何故なら、世界に冠たる交通行政を司り、優良ドライバーを育てるのは、現代社会の最重要課題の一つだと考えるからである。

免許取得が終わりではない、始まりなのだ。官と民に拘らず、厳しくも、親切に、丁寧に、対応し、免許証交付や更新をさせるべきである。従来の行政処分と罰金制度による厳罰主義と、マンネリ化した教習、講習では、交通戦争の弊害を除去できない。パスさせる事、取り上げる事が目的ではないはずである。高齢者に対する認知度を調べる、記憶テスト等は如何であろうか?「今日は何月何日何曜日ですか?」「トランプの神経衰弱」の如き、16枚の絵を記憶させて、何枚思い出せるか等、運転能力、咄嗟の判断力を調べるのに必要のない事である。人にされたくない、事件、事故につながる危険、迷惑、意地悪な運転や行為を絶対にしないよう、教習で身に着けさせる。不幸にもそれらの被害を被った時、拡大しないよう、耐え忍ぶ心を涵養する事も必要であろう。所内外の路上運転にも重きを置き、運転技術の向上と交通法規を再履修させ、無法ドライバーを根絶させる。それらにかかる費用を捻出するには、程度に応じて、受講者に負担させるのは当然のこと。教官にはプライドと大いなる使命感をもって臨んで貰いたい。しかして、他を思いやり、迷惑をかけないドライバーが多くなれば、交通事故もへり、ストレスもより少なくなり、快適な、社会の実現に一歩前進することができるのではないだろうか。

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