小さな喫茶店でも半端なく、繁盛しているのは何故?

今でも、モーニングサービスの盛んな中京地区等は、朝食の外食が普通で、朝から晩まで食事、喫茶、談笑する人達で、喫茶店が混雑しているようだ。これは、ひとえに経済合理性に叶っており、喫茶店に限らず、節約するより、時間と空間を買い、多様性を楽しむ為、皆んなが利用している。家事労働を減らし、仕事をしている人も、年金生活者もそれなりに地域にお金を落とす。潤った喫茶店経営者も多数、地域に還元しているのだと思う。観光地であるや否やに拘らず、地域の人が、地元でお金を使わずに他処の人に期待するだけの他力本願では、街の活性化は覚束ない。中京地区は、トヨタの城下町で他の地域より、景気もそんなに悪くない。しかし他の地域とは、消費マインドや対人間関係、地域に対する想いが根本的に違うのではないだろうか。他の地域では、ある種の楽天性がなかったり、自分だけコツコツやり、他を出し抜いて出世する。そのくせ、他者が出世したり、羽振りが良かったりすると羨む、嫉む、僻む。失敗したり、潰れたりすると喜色満面で放送局になる。そんな構図をたくさん見てきた。それなりの郷土愛に溢れていると思うが、もうこの地域では、何をやっても駄目だと諦め、自分と家族だけが、生き残ることを考えたり、別の道を密かに模索している。愛すべき街があるのに、家で寝食するだけで、歩き回らないし、心は他処にいっており、脱出を試みている。ふるさとを持たない、持てない男の僻みだろうか。

各家庭では物が溢れ、買うものがないし、使うところがないと人は言う。本当に消費に値する店や品物がないのだろうか。見つかるものなのだ。自分は、お世話になっている町や訪れた先で、常に何かを探している。それは、人情、食べ物、もの、場所であったり、風景、佇まい等様々である。興味を持って接すれば、彼我の距離は、狭まり、又来たくなり、懐かしい場所にもなる。店も要望を察知し、客が地域外に流失しないよう、客のニーズ、センス等をキャッチし努力と研究を怠れない。結局、相互に歩み寄らないと、心はかよわない。どちらかがサインを送れば必ず相手に通じるものだ。客も少々のことは我慢して、見守る度量が望まれる。店と客は切磋琢磨して、賑わいの原点を保ちながら、輪を広げて行けば、街は、ビビッドになると思う。

私は、よく地方に出張するが、時々、企業城下町として栄えた愛媛県の新居浜市に出向く。かって三井住友の別子銅山があり、人口が13万5千人いたが、現在は12万5千人ほど。それなりの人口を擁しているが、街の老成化が進んでいるのだろう。やはり若者がいないと言う。人がで歩いているのが 目立たないし、活気がない。そんな街で、注目している小さな喫茶店がある。40歳位の矢野賢造、同拓郎兄弟が経営している「豆や焙煎堂…新居浜市宮町1-1-20、0897(36)3091、火曜定休」である。自家焙煎した珈琲豆の挽きたてを味わえる、クオリティも高く、気配りのできる店である。5坪ほどの広さだが、小1時間ほどでこの店の繁盛ぶりがわかる。平均して、客が途切れることもなく、ごく自然に時が流れている。初めて店に入った時、驚かされた。ほとんどが地元の客で、他所者はいなかったが、さりげなく、声をかけられ、アウェー感皆無であった。隣町の今治市の喫茶店の経営者が言うには、マスターと地元客の常連がトグロを巻いているような店は全部潰れたそうだ。しかし、気取っていて? いらっしゃいませ!ありがとうございます!だけの店では、大手の珈琲チエーン店には対抗出来ないのは自明の理。「豆や焙煎堂」は個が繁盛するための道を示唆している。知らん顔をしないし、必ず客に一言二言、話しかけ、知り合いになった気にさせ、ほっとけない気になる。巧まずに安心感と居心地の良さを演出している。人は、何かを求めて来店する。今時、珈琲一杯で自分の時間が持て、充足した気持ちにさせてくれるところは少ない。今後、更に発展し、どんな将来を見せてくれるかが楽しみである。

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