日本は、まだ捨てたものではない。今のうちに…

ホテルのELEVATOR の中で、体のがっちりした、近寄りがたい雰囲気の、威勢のよさそうな50代の 男性と、二言三言話したが、先に降りる時「失礼します」と言われた。天気のことか何かで、ごく自然にこちらが声をかけ、それに気分良く応えてくれた。こちらが 年長者だと見て、丁寧な言葉を返してくれたのに相違ない。日本では、まだ中高年の世代中、礼節を失っていない、常識のある人達が少なからず残っている。その土地によって異なることがないので、日本中どこへ行っても、ある程度安心だし、嫌な思いをすることが少ない。

一方、自分が、住んでいる集合住宅では、挨拶を交わすのは、二割もいない。それも殆どが、60代以上の人達が多い。挨拶してもTHROUGHされることも多く、バツが悪い。従って、いつも気を使わなければならない。初めて出会う人などの場合、相手の所作、雰囲気を察知し、遅れを取ることなく、挨拶出来るよう身構えるし、STRESSが溜まる。大袈裟に言っているのではない。前に住んでいたところでも似たり寄ったりであり、不本意ながら、かれこれ30年近くもこんな日常が続いている。確かに日本は、壊れかけている。動物同士でも相手を確認しており、無視をしているのをあまり見たことがない。家庭、学校、社会で基本的なRULE、常識を教わらなかったのであろうか、不思議に思う。特定の人達どおしでは、仲良くしているが、もはや隣人も他人扱いなのであろうか。聞くところによると、親戚、縁者に於いても若い世代は、あまり、つき合いをしないと言う。他人と挨拶すると、ある種の関係性が出来、相手のことも知りたくないし、話すのが面倒くさいから、一層のこと、だんまり、無視を決め込むのだと思う。確かに挨拶を交わすと、後々の関係性に戸惑うこともある。しかし挨拶を交わしても、無理に話をする必要がないのだが…。いまでは、故人になったが、自分の幼少年時代に、上から目線の、数少ない従兄弟達と、何の屈託もなげに、夏休みの度に、湘南の海で遊んでいたことなども懐かしく思い出される。

諸外国から、日本のおもてなし、礼儀正しさ、譲り合いの精神、MANNERの良さ、FRIENDLYさ、SPORTSMANSHIP等が、事あるごとに賞賛されている。喜ばしい限りである。自分が子供から大人になる時代には、野外で放尿することが、当たり前のように行われていた。善悪の議論が何時なされたのか承知していないが、今では、ごく最近見かけたが、何年も見ていなかった。分別のある大人達が、国際社会を鑑みて、自ら率先し、改めた賜物だと思う。一度、社会の良き習慣が壊れてしまい、為政者が、号令一下呼びかける等恥ずかしい限り。今、中高年が携えている良き時代の習慣を出来るだけ、継承してもらわないと、大変な時代に突入する。人間関係に疲れた人が、人のいない過疎の地域に行き、一人では生きられないのを自覚することもあるが、人の優しさに触れ、新たな人間関係を作り、その地域に移り住む人もでてくる。それもありとは思うが、それぞれの街にも、きっと心優しい人がおり、心癒される場所があり、日本の伝統的な習俗を担っている人々もいる。各地域で 、逃避することなく、そんなCOMMUNITYの輪を広げていけば、少しでも暮らしやすくなると思う。仕事や私的な部分の繋がりにおいてもこんなことを意識しながら日々過ごしているが、個に留まらずに、他の人と自然な流れで、関わり合いを持てれば、素晴らしいことだと思う。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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