親切と意地悪は表裏一体?

自分に悪しき性格が宿っているのを何度も自覚させられている。先日、都内のホテルのATMを利用したが、根性の悪さを発揮してしまった。やっと一人が並ぶ程度の込み具合ではあったが、記帳、引き出し、移し替え、振込を終えるには、最短、30分程度は、かかると思われた。物静かで控えめな人には、気の毒に思い、要する時間を聞き、順番を先に譲る等して対応した。明らかに、イライラしたり、不満顔の人には、「時間がかかります。」と言い、諦めさせた。何と意地悪な男よ!そんなこんなで、何とも落ち着かない時間を過ごし、結局用が足りず、その場を離れた。時間がかかる場合、最初から、ATMがたくさんある、フォーク型の店舗に行けばよかったのに、不用意な行動により、後味が悪く嫌な思いを引きずった。

世のルールを無視したり、横車を押したり、迷惑行為をする人には、無性に腹がたってしまう。例えば、母親が狭い道路の左側を歩き、幼い子供はその右側を勝手に歩き回り、反対側から歩いてくる人の通行の邪魔になっているのに、気配りせぬこと、順番に気がつかぬ振りをして割り込んだり、不特定の人がいる共通の空間で、大声で談笑したり、電話する等、きりがない。しかも車の運転では、残念ながら怒りを押さえ込めない時がある。そんな時、言い訳を考える。ほっぺたを殴られるのがわかっていて、ほっぺたを出す人がいるわけがない!こんな例がよくある。二車線が一車線に狭まる時に、大半の人が諦めて、合流車線に、無理なく入れて貰い、混雑に閉口しながらも我慢して走行する。ところが何台もの車が、そのまま走行し、出来るだけ先に強引に割り込もうとする。そんな時、自分の前に入ろうとする車は、許せない!絶対に入れないようにする。入れていたら、それこそキリがないし、彼等を増長させる。他車も割り込みを許さず、本人に自業自得を納得させるしかないと思っている。しかし、片や強引に入ろうとする、他方、絶対に割り込ませないようにする。オリンピックを控え、来日した多数の外国人がこの光景を見たらなんと思うであろうか。おもてなし、思いやりの国、日本?への幻想?が一挙に瓦解するのではないだろうか。こんな根性の悪さが引き起こした「ランボルギーニ事件」があった。10年以上前、東京の山手線、五反田駅近く、中原街道の合流地点で左の側道から流入しようとしたランボルギー二が速度を早め、出来るだけ前に割り込もうとしてきたので、逃げるようにハンドルを切らずに、そのまま走行した結果、接触事故になった。外車等の高級車が近ずいてくると、敬遠し、トラブルを避けるのが通常である。現に、外車の高級車に載っている知り合いが、ぶつけてくるやつはいない!と豪語していた。「ボケ!はげ!のろま!」など連発され、大騒動になった。警察官も駆けつけ、双方が悪いということになり、保険に委ねた。しかし相手の40前後の外食チェーンの経営者は納得せずにその後も電話をかけてきた。「土下座しろ!すぐに来て謝らなければ、お前の店を滅茶苦茶にしてやる!」保険会社同士では、話もついており、脅しに屈せず、無視を決めこんだ。先方には、そちらの出方によって脅迫罪、損害賠償、傷害罪等の適用もあり得る事を伝えた。その後、当分の間、悪夢から解放されることはなかった。無事であったのは、ただ、運が良かったからだと大いに反省したし、妻にも「畳の上では死ねないよ!」などと言われている。

普段から自分が気持ちの上で、お手伝いができたり、相手が喜んでくれると 、溜まっていたストレスも解消でき、何となく嬉しい気持ちになる。嫌な思いをした時、腹がたつと同時に、その連鎖を少しでも断ち切りたいので、同じ轍を踏み、不愉快な思いをさせないよう、気をつけている。しかも大概のことは譲れると思い込んでいる。しかし、どうしても譲れない、許せない性格が頭をもたげてくるのが悩みの種でもある。振れ幅の大きさに我ながら驚いている。親切と意地悪は裏表ではないだろうか。したい人にはする。したくない人にはしない。それらを昇華するのは、人の良さであろうか。人がいいと言うことは、最高の道徳であり、何事にも惑わせられないし、尊敬さえ覚えている。いい歳をして、好々爺にほど遠い自分の行く末はどうなってしまうのか心配である。

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