私が仕事をしている会津若松で、コバンザメ商法?で繁盛している店が二件ほどある。繁華街から少し離れた場所にある店は、観光案内にも載っている、地元なら誰でも知っている老舗であリ、いつも観光客で溢れ返っている。そのすぐ近くに他の食べ物屋さんが、最初は一件しかなかったが、後発のライバル店が出来、俄然やる気になり、両店とも切磋琢磨し、賑わっている。
会津若松は観光の街でありながら、なかなか魅力を発見して貰えず、一過性のお客も多い。本来、関係者が躍起になって宣伝広報に奔走するものだが、そんな姿もまるで見えない。又、一般の会津人も店の良し悪しを表立って言わない。以前こんな話を聞いた。行きつけの店で、不備、不始末があっても、注意せず、その店には、もう行かないと言う。その後、店が閉店したりすると「やっぱりな。そうだよな。」と思うのだとの事。これが会津流?自分は、余所者だが、いい店、いい品があったら、人に話すし、勧める事が多い。また、看過できない事があったら、言わずにはいられない。因みに妻は会津人であるが、余計なことを言うので、嫌われ、事前に発言を制止される。私が取る態度は大人の対応ではないのだろうか。一般的に、観光客が「会津はいいとこだよね!ホッとするね!」と言っても反応はイマイチ。何がいいのか、悪いのかがわからない?不思議そうな顔をする。私は、この街でお世話になっている以上、仕事以外でも、一杯、いいこと、いいもの、いい人等の事を発信していきたいと思う。
お世話になっている、東京、目黒区不動前にある鰻の老舗「ニシムラ」の奥さんとお母さんが、一泊二日の観光で会津に来られた。その時、会津の「コバンザメ商法」についてお話すると、何のためらいもなく、自分の店も、最初は目黒不動尊の参拝客を当てにしたコバンザメ商法だったと言われた。その発言に仰天した。省みれば自分も斎藤清とその作品に頼った一種のコバンザメ商法だったのではないかと思った。昔、同業者に言われた事が頭を過ぎる。当時も斎藤清とその版画は人気があり、どんなギャラリーが扱っても作品の販売に困らなかった。「ある程度評価の確定した作品は誰でも扱える。ギャラリーの存在意義は新しい才能を見出すことだ。」との趣旨を地元紙で書いていた。それも一つの卓見だと思った。悔しかったが、自分を信じ、今日までこの商法?に徹して来たのかもしれない。他力本願のお客様に対処するのも容易ではない。訪れたお客様を安心させ、フアンにするには、金儲けだけに利用するのではなく、いい商品の開発を常に心がけ、精一杯の還元をしなければ、その誠意は伝わらない。コバンザメ商法の連鎖がおこれば街はどんどん活性化するのではないだろうか。行列のできる店、大歓迎の所以である。
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