こんな大きな忘れ物は 認知症?

先般、高齢者の認知症テストに行ってきた。自動車運転違反者講習の趣きで30〜40人が集まった。

元気がないのは当然なのだが、皆、一様に老残の身を晒しているようで身につまされた。自分も例外なく他者からみて同じように見えるのだろう。

前回の免許更新の時は80点とれたのだが、今回は言い訳になるが、ほとんど寝られず、ぼーっとして受講し、67点しか取れなかった。追加講習が恐い。

前回よりも点数が低いと、認知度が低下しでいると判定され、最終的に免許取消もあり得るのだ。最初のテストで張り切りすぎて、高得点を取らないのがお勧め。警察には過去の個人データーが集積されている。

昨年と一昨年、大きな忘れ物をした。車を駐車場に入れず、前の道路に置き忘れ、くつろいでしまったのだ。携帯を車に置き忘れたのを思い出し事無きを得たのだ。これって認知症の恐れあり?そうは思いたくない。

それなのに1月28日、日本時間深夜、サッカーのアジアカップを見忘れた。日頃、どんなことがあっても、日本代表のサッカー、大坂・錦織のテニス、大谷翔平が出場する大リーグの試合等、必ず視聴している。

省みるに、小さい頃から今まで数限りなく忘れ物をした。緊張する時、人に会う前後、出かける時、あちこち移動する時等、およそ生活全般にわたっていた。

利用していた貸駐車場では「よく忘れ物するね!」と言われ、明るく、自虐的に「忘れ物の名人だから!」と答えた。これまでは、単なる物忘れの認識であった。

知人御夫婦が食事の時、奥さんが日頃使っている箸を自分の箸だと言い張るご主人に唖然とした話を聞いた時、これは認知症モードに入っていると感じた次第。その後、箸を交換したまま、二人は穏やかに過ごしていると言う。

認知症の症状が出て、指摘されると人は認めたがらないという。しかもムキになって怒り出す場合もあるそうだ。

自分は如何?その指摘が当たっていたら反省し、間違っていたら聞き流す。そんなことができるかな?単なる健忘症と認知症の境界線を自分なりに識別できるうちは大丈夫だと思う。

矢部太郎が漫画「大家さんと僕」で、認知症気味のおばあちゃんとのエピソードをユーモラスにもあたたかく表現し話題になった。

誰しもが迎えなくてはならない脳細胞の衰え。初期症状らしきものが出た時でも自らをじっくりと観察し、落ち込まず、焦らず、面白おかしく淡々と記していけたらと思う。

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