車社会の迷惑行為は、内なる悪魔のささやきから始まる?

車を運転する者は、日々特有のストレスを感じている。本来、自分が他者に迷惑をかけたり掛けられ、表裏一体のこともある。自分が交通規則、マナーを守り、その輪が広がれば、かなり快適な車社会の環境が整うはずである。しかし他者が迷惑行為に及んだ時どう対処するかが問題である。

実は正直にいえば、自分もハンドルを握ると多少人格が変わってしまう。他車による無理な割り込み・追い越し及び急ブレーキ、煽り運転及びパッシング、車の流れに合わせず車間距離を必要以上にあけノロノロ運転する車、キープレフトを守らず追い越し車線を呑気に走るカップルや我が物顔に俺様の専用路線とばかり追越車線をずーと走ること、余裕があるのに走行車線に入れてくれない、並列駐車する場合、運転席側に接近して停めるその他数々の違反行為(信号無視、一時停止違反、よそ見運転、わき見運転)等々あげればきりがない。こんな状況で毎日運転すれば、悪魔のささやきが聞こえてくる。腹が立ってしょうがない。その時岐路に立たされ、踏ん張れるか否かで運命が決まるであろう。我慢のしどころである。更に、運転する者の義務として、少なくても迷惑行為を誘発するような行動を取らないのは言うまでもない。

免許更新の時、講習で、運転適性検査がある。その中に、諸々の状況で腹を立て易いか否かによって適性度を測る項目がある。こんな、人に多大のストレスを与える車社会で、怒ることなく神様、仏様みたいな人がいるだろうか?道交法改正、重大事故の状況と負わなくてはならぬ結果責任の重さ等の話をするが、「自分だけでも今日から迷惑運転はしないぞ」と決意させる」ような、いい話は聞いたことがない。

以前から追い越しをした時、距離を取って直ちにキープレフトを守っている。最近、意識してやっていることがある。自分が追い越し車線を追随して走っている時、前の車は多分煽り運転されていると感じている場合があるのではないだろうか。走行速度が同じなら、その車が左車線に入った時、敢えて追い越すこともなく自分も距離を取って左に入るのである。つまり「FOLLOW ME!…俺について来い」でなく「I  FOLLOW  YOU!…私はあなたについていきます」という意志表示である。しかも同じ速度なら追随した方が楽だし相手も悪い気がしないはずである。

空きスペースから車線に入る時、譲り譲られるとお互いにどんなに気分がいい事だろう。誰しも経験があるはずだ。他のドライバーがほっとするようなことを少しずつ無理なく続ければ、未来の車社会は明るいのではなかろうか。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

伊藤武をフォローする
雑感
シェアする
伊藤武をフォローする
いとたけのブログ

コメント