斎藤清木版画の贋作が回り回って戻ってきた!?

信じられないことが起こった。

私は、斎藤清の版画を扱う画廊、イトー美術を運営している。

先に贋作の存在を告知したが、その同じ品物が何と当方に再度持ち込まれたのだ。それは「只見川  会津柳津(3) 1980」の大版である。(先に「斎藤清木版画の贋作が…?」で贋作云々と記した、もう一つの「只見川 会津柳津(1)1989」は1979の誤りです。申し訳ございません。)

経緯は以下のとおり。

私が贋作と断定したものが、性懲りなく再売りされていたのだ。

買われた方が、本物か否か判断しかね、ある人に相談したのだが、その人も困り果て、私に判断を委ねることになった。

偶然とはいえ、回り回って、(贋作販売グループが?)その品を一番見られたくない私がFINAL ANSWERを出すことになった。

勿論一蹴し、返金してもらうよう促した。悪事はいずれ露見するのだ。

しかし事態は深刻だ。成敗して清々したなんて涼しい顔をしていられない。

斎藤清の版画が人気があり、価値を生じ、売れるから贋作を作るのだが、発覚するのはごく一部で、大多数は知られる事なく何処かで出番を待っているのでご用心。

もしかしたら皆さんのコレクションのなかにも紛れ込んでいるかもしれない。

10年以上前の話だが、福島県内で「只見川 会津柳津」の贋作が見つかり、著作権者が告発したが、関係者は半年ばかり刑に服しただけであった。罪の重い詐欺罪ではなく名誉毀損等になったようだ。

その当時残っていた贋作がでてきたのだろうか?

この種の案件は非常に難しいようだ。知り合いが罪になったり、裁判で証言してもらわなければならなくなり断られることもあるようだ。

お宝鑑定の番組でも何十万も出費し鑑定額が何千円といわれ、腰から崩れ落ちるパーフォマンス?を何度もみせられている。

やはり確たる証拠がなければ、騙された本人の自己責任ということで落着なのかな?その後事件化した等聞いたことがない。

鑑定に付される品物の価格が両極端になるのがドラマティックでエンターテイメント性があるとの位置づけなのかもしれない。難しく考えると番組が成り立たないのだ。

とにかく購入する場合、あまりにも安い価格を提示されたら疑ってみるものだ。何故なら人気のある作品、いい作品等の真作は標準価格で販売可能であるから安売りの必要がないのである。

それからもう一言。これは斎藤清の版画に限らないのだが、すべからく販売側が「高価買取」と謳っているが、何をもって、又どこと比較して高価と言ってるのかわからない。非常に曖昧でアバウトな言葉だと思う。

本当に高価で買取したら高額で販売しなくてはならず、物が売れなくなるのは自明の理。「高価買取」は、従って「高く売ります」と言うようなものである。

みんなが同じキャッチフレーズを使うので、かえって他者との差別化も計れないことになる。こんな事は購入者、販売者双方が冷静になればわかるのではあるまいか。

いずれにしろ、贋作が堂々とまかり通る市場は異常である。

安心してご購入いただけるよう、今まで以上注視すると同時に、今後、自身に贋作が関わってきた場合、看過できないし、断固たる措置を講ずる積もりである。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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