人間は、幾つになっても何かが出来る?

先日、NHKの「逆転人生」を見た。釧路出身で84歳の女性は、1941年開戦の日米戦争の敗戦直前、時代の潮流により理不尽な扱いを受け、頼りにしていた長兄を撲殺により奪われた。故郷で居場所も失い、自分しか信じられず、若くして単身上京、新宿で働き、店を持つ。時代に翻弄され行き場を失った人、真摯に生きる人の溜まり場になり、拠り所として彼らを支えた。その後も数々の転変を経て波乱万丈の人生を生きている。今も現役続行。望まれて新宿に戻り、昔からの知り合いや新たに絆を深めた人と交流を持つ。その堂々たる人生に後悔の念はなく、矜持を持った生き様に共感出来た。

テレビ朝日、チベット少数民族取材DOCUMENTARY番組も見た。春夏が3ヶ月、秋冬が9ヶ月に及び、過酷な辺境の地でヤクに頼り、共に生きる、貧しい生活をする30代の男性は、他所で生きる術もないが、むしろ、この地で生きる事に満足し、誇りを持っていると言っていた。悠久の大地に根ざし、悟りきったような生き方に畏敬さえ覚えた。かつて芹沢光治良さんは、漁師になるのが運命づけられていたが、本人の意志と恩師や周囲の強力なADVICE が後押しになり、学業に勤しみ、後に小説家として大作「人間の運命」他を残した。ブレずに本人の意思通り人生を全うできる人は、生きる意義を見出す事ができ素晴らしい。

道に迷いながら歩んでいる人も多いと思う。選択肢は多数あるが、大半の人は、偶然もしくは、不本意ながら現在の職業に就いている。しかしそれぞれ、隠れた才能を磨いたり、裏技を持ち、趣味や道楽が身を助け、転身や転進を遂げる人がいる。著名人等がいつの間にか別の仕事をしていたり、意外な一面を垣間見せることがあり、驚嘆したり刺激を受ける。

先日、TVで70歳代の漁師さんが、それまで縁のなかった音楽、とりわけPIANO 演奏に興味を持ち、専門家を驚かせる程の腕前を披露しているのを見て、人間の無限の可能性を改めて認識する事が出来た。

動物の本能や生命力に感心する事が多いが、更に人間には、言葉や道具を使う知性や感性が、己れ自身・家庭・教育・社会等で後天的に育まれ、何時、如何なる時でも発揮する可能性がある。生命科学的には、三歳位までに人間の脳力は決まってしまうと言うが、私は、そうは思わない。いくつになってもやり直せるし、突然触発されて目覚める能力もある。どんなに永いこと、ただ漂流しているように見えても、無駄にはならない筈だ。自分の内面を見つめ、何か何かを求め続ければ、沸点に達する時が来るのではないだろうか。

例え、独りよがりであっても肯定したいし、悔いを残したくない。証がほしい。人間は、己れの意思で生きられるし、可逆的であったり、融通無碍を留保することもできる。一人一人の可能性を信じているので、己は勿論、他の人間にも興味が尽きないのである。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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