個人主義の最たる、はきちがいから、DRIVERがEGOを発揮?

一昨日、駐車場から出る時、たまたま、SPACE があったが、無理して入ることになるので、その一台をやり過ごそうと思った。何と、BACKして入れてくれたのである。あり得ない!30代くらいの女性であったが、相手を見て、深々と頭を下げた。謝意は、十分に伝わったのではないだろうか。出張に出かける間際であり、ひと時の感動体験を誰彼となく話したいと思った。因みに、運転経験の長い自分は、後ろに空きSPACEがあった場合、BACKして、譲ったこともある。より一層、運転MANNERを磨き、この人の思いに応えたい。

通常、道路に出る場合、5回のうち、2〜3回は、すぐに入れてもらえないことがあり、嫌な思いをする。人の心が、荒廃してしまっているのだろうか。お年寄りで、気づかぬこともあったり、様々の理由があり、一概に非難もできぬが、気づいているのに、知らんぷりされると腹も立つ。しかし、自分は、そんなことは絶対にしないぞと改めて自分に言い聞かせる。生身の人が一般社会で行動する時に、良からぬ言動を探していたらきりがないし、一過性が多く、特定の場合以外やり過ごすことができると思う。車を運転していると、何度も、あれっと思うことがあり、STRESSを感じる。しかし、誰しも無意識のうちに、多かれ少なかれ、同じようなことをしていることがあるのではないか。

何故なのだろう。欧米の個人主義をはき違えて、他人のPRIVACYに首を突っ込まない限り、自由であり、他人に拘束されないし、自己責任で完結する。無関心同士、配慮、思いやりのない社会では、息苦しいとは、思わないのであろうか。こんな風潮を反映して、車社会では、更にESCALATEしている。日々の鬱憤をを晴らすには、絶好のCHANCE到来である。絶対空間におり、機械を呈して動かしているので、生身の人間の行動より、わかりいくいと思っているのではないか。しかし、車の行動ほど、その人の人間性が分かり易いものはない。頭隠して尻隠さずである。急ぐ人も、ゆったり余裕のある人も、EGO丸出しの行動により、皆に、迷惑がかかり、一般社会のいじめ、意地悪であったり、OUTLAW作りにも手を貸すことにもなる。個人個人の日々の運転行動が、車社会の縮図にもなってしまう事にもなるので、更に心したいと思う。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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