六十にして立つ…最晩年への期待

私は成長が遅く、背負ってるものは軽いが、遠く長い道を歩いている。「論語」中、孔子の言葉「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして心の欲するところに従えど矩をこえず」がある。こんな風に感じながら、年を取っていければいいな!と呑気に考えていた。とんでもない!このように生きるには、学問に励み、世間を知り、計画的にことを運び、しかもステップアップを図らなければクリアできないということが、若い頃既にわかっていた。真逆の生活をしていたからだ。だいたい記憶力のいい方でないのに記憶にしか頼らざるを得なかった。どうやら思考回路も詰まっており、物事を深く考えたり、論理的に事を運ぶことができなかったのである。もし人の良さが加わっていたらどうしようもない阿保だったかもしれない。そんな中、自らを失わなかったのは、シンプルな我が座標軸、道徳律とも言うべき最後の砦「自ら人道にもとることはしない」があったからだと思う。

停滞、自堕落、頽廃的な生活が続いていた。何事も起こらず、変わらず、武勇伝もなく、鬱屈とした日々だった。その時、突然救いの手が差し伸べられた?今や亡き寺山修司とその著作である。「書を捨てよ!街に出よう!」と彼の標榜していた「一点豪華主義」である。変われるかもしれない!熱い気持ちになり行動をおこした。私は本来、誰が何という本を書いたかに興味があり、実際、長続きせず幾らも読めなかった。御多分にもれず太宰の「人間失格」などには共感し感傷に浸っていた。寺山のメッセージは「本を読んだり、考えごとをして、悶々としていたって、何も変わらない。そんなものは棚上げして街に出て行動を起こすこと。いろいろ面白いものに出会うし、変わるきっかけができる。食べ物にしても毎日平均的で、代わり映えしないものを食べるより、何日間か我慢して一ヶ月に一回でも贅沢な食事をする。飢餓と豪華な食体験を経験することにより世界の見え方、あり方がまるで違ってくる。競馬でもやって、一発あてるもよし。よしんば、なけなしの金をすっても一ヶ月間、かすかすの生活をして、天国と地獄を味あうもよし。人間の本性も理解出来る。」等であろうか。そんな考え方を実践すべく、より街に出て、一点豪華主義らしき体験もしてみた。しかし時間の経過と共に、かえってつらい想いが累積されてきた。何も本質は変わらないし、悲哀と落胆を囲っていた。自分には心の武器がないし、己も確立されていないから多様性、特異性に触れても化学変化等起こりようがない事が改めて認識させられた。これからも徒手空拳で世間と接触しても意味がない。

35歳くらいになっていたが、会社勤めをやめ、自営業のギャラリーを始めた。それからというもの、愚直にも、遠回りをしながらも、遅々たる歩みで、己が道を辿って来た。やがて長い年月を経て、経験値と得た知識が点となり、線として繋がり、面になり多少知恵が回り始めた。もう既に60を過ぎていた。遅ればせながら、やっと而立できたのである。しかし惑いを払拭するのに、更に後10年もかかってしまう。齢87歳。持たないかもしれない。彼の言う「心の……矩をこえず」は足るを知る事だと思うが、117歳になってしまう。短縮し凝縮しなくてはならないのだが、生来の、のんびり屋。常に60〜70%の努力でここまで生き延びてきたのだ。これまで通りのんびりやるか。私の勝手な推論なのだが、人間は、自我に目覚め、仕事や、目標をこなし達成感があればあるほど、過去の栄光を慮り満足感に浸りがちになる。自分のやってきた事に比べれば、どれもこれも大した事でないし、今更の感もある。つまり燃え尽き症候群に陥るのではないだろうか。年齢、健康、その他の制約があるが、為してないと言うことは、変わったり、新たな自己発見があったり、為すことの楽しみもある。人より遅れていることを嘆くなかれだ。今まさに老中真っしぐらである。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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