偶然で始まったが、何となく終わる訳にはいかない!

人間は、偶然と必然により誕生するが、仕事や趣味に関しても、やはり偶然と必然が交差している。自分としては、恥ずかしい話かもしれないが、何となく人生が始まり 、偶然、今の仕事に辿り着き、なんとなく生活し、それなりに楽しんできた。しかし、この儘、なんとなく終わっては、決まりがつかない。せめて終わりだけでも自分の明確な意識のあるうち、はっきり決着をつける積りでいる。つまり必然で終わりたい。

老衰で、何となく人生が終わりになるのは、致し方ないと思うが、自分にとって、仕事と運転は切っても切れない不即不離の関係で、同時に終える可能性が高い。これまで、45年以上の間、出張その他で、スバル360とスバルレオーネで20万キロ以上、同じくスバルレオーネで20万以上、ランクル2台で60万以上、サファリで30万以上、その後カローラで30万で廃車、アクシオで現在、21万、12月よりエスクワイアで1、5万キロ運転し、合計距離は、180万キロ以上走っていることになる。実に、地球一周4万キロとして、地球を45周以上走っている。そのうち、妻が一周くらいは、運転している。思わず遠くへ来たもんだ!専門のドライバーほどでないにしても、いいドライバーであったと言う自負は、人一倍ある。現に、相手にぶつけられたことはあっても、自分の不注意等で事故を起こして、相手に迷惑をかけたこと等記憶にない。しかし、過信はしてないし、眠くなったら、休める場所に車を止め、仮眠を取るようにしている。しかも、軽い気持ちで、運転したことはない。然るに 、一定の年齢で免許証返上など考えられないのである。と同時に、自分で異変を感じたら、直ちに始末をつけなければならないとは思っている。視力、体力が弱り、知覚が衰え、運転動作を誤ったり 、車の流れや進行の妨げになり、迷惑をかけ、事故を誘発する等を自覚し、妻や、他の人にそれらの事で諫言を受けた時、車の運転を断念する積り。又、仕事でも、体力、知力が衰え、限界を感じたり、自分の役回りが終わったと感じたら、辞めることになるだろう。

以前は、自分がギャラリーを辞めても、斎藤清の版画を最大限評価し、情熱のある人に、売り買いの受け皿として業務を引き継いでもらいたい気持ちがあった。それだけ思い入れが深いし、歴史に名を刻むだけの業績と作品を残した画家だと信じている。しかし時代の所為かもしれないが、価格相場が落ち着かない。いつの時代でも、高く売りたいし、安く買いたいと思うのは、人の常。しかしある程度価格が安定していないと、人の心が惑わせられたり、荒んでくるのではないだろうか。同業者の方でも、価格の決め方が、一過性、取り敢えずであったり、ずばり言えないことが多い。成り行き価格まである。今日この頃、こんな不透明で、物の価格が雲を掴むかのような仕事を人に勧めることは出来ないと思っている。成り行きで仕事を終えるのではなく、役目が終わったと自覚した時、THE ENDになる。年末に78歳になるが、遠からずその時期が来る。もうあれこれ迷ってもしょうがない。その日まで、これまで通り、坦々と機嫌よく過ごして行くことになる。

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