ばか者、若者、よそ者で街おこしをする?

ご近所の大御所から教わった。

60代後半の男性で、街の生き字引の一人に違いない。地元の進学校から大学に行き、直ぐに郷里の会津若松に帰り、家業を継ぎ、現在に至る。街は、御多分に洩れず、疲弊している。空き店舗も目立ち、特定の観光施設、SPOT、商店以外は、観光客は縁がなく、地元の客離れも進む。彼は、多くを語らないが、早くから、故郷運動?に加わり、ばか者、若者、更によそ者の視点で、何十年も奮励努力をした名残が垣間見える。「ならぬものはならぬ」「なるように ならず」「なすべきことは  なした」の思いで、ある種の悔恨、諦観、達成感があることは確かだと思う。人生を象徴しており、お疲れ様と言いたいが寂しい気がする。まだ60代である。100歳を見据えたら、壮年に匹敵するのだ。

上げたり下げたりしながら、時おりJABを放つが、おいそれとは燃えてくれない。いい知恵者が現れないだろうか?彼を再び立ち上がらせるために。熱いものが残り火のように残っているし、あきらめ、愚痴も時おり漏らすが、冗談めかしたり、おどけて見せる。哲学者かと思わせる顔も見せ、真面目に取り組む姿勢もある。不思議な存在感があり、七つの顔を持つCHAMELEONのようだ。この街には必要な貴重な人である。

出張で色々な街に行き、感じることは、地元の人が意外と自分が住んでいる街の店を知らないことである。若い人は、全国CHAINの地元店には行くが、既存の店には行かないし、年配の人ですら、子供達や孫と前者の店には行くが、後者の店には、昔、行ったが今は行かないようだ。自分は、大半の時間を費やしている地域で、必要に応じて、その土地の店には、時間の許す限り行ってみる。意外な発見があったり、地域の誇り、宝みたいな店もある。観光地であろうと、そこそこの人口規模の街でも、それぞれの土地の人がもう少し既存の店に関心を持てば、元気になるかもしれない。店側も、観光客等他から来る客しか当てにしないところが多い。相互に不信感があるみたいである。再度、「ばか者、わか者 、よそ者の街」宣言するなどし、周知を集め、この指止まれみたいなことをすれば活性化が図れるかもしれない。これからも自分がいいと思う店をばか者、よそ者の視点で、興味を持って、熱く伝えていきたいと思う。

この記事を書いた人
伊藤武

斎藤清の出生地、会津で斎藤清版画ギャラリー「イトー美術」を運営している、いとたけ こと伊藤武です。
http://itobi.sakura.ne.jp/

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